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豆知識

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剣道の歴史

1 日本剣道形の意義・目的
 日本剣道形は、明治44年、剣道が柔道と共に中学校の正課として採用されるに及び、大日本武徳会は、指導上の統一を計ることを目的に、根岸信五郎、辻真平、内藤高治、門奈正、高野佐三郎の5氏を主査に各都道府県から著名な先生方を招聘し、鋭意、調査協議の結果、大正元年に、いずれの流派にも属さない各流派統合の象徴としての剣道形が制定された。
 日本剣道形は長い歴史を持ち、理合、精神面に深い内容を持つまでに発達した文化遺産である。この伝統文化剣道形を正しく継承し、次代に伝えることは、我々の使命であり大きな意義がある。

 剣道形修錬の目的は、技術力の向上を大きなねらいとして実施するものであるが、剣道形を繰り返し修錬することによって、剣道の基礎的なネL儀作法や技術、剣の理合等を修得することができる。更に内面的な気の働きや、気位、風格といった剣道の原理原則を会得でき剣道の規範となるものである。
 幕末の剣客、窪田清音(くぼたすがね)も「形を本とし、仕合をむねとし、その心のごとくになり得ることこそ形の本用なればなり」と述べ、形は試合の手本であることを教えている。
 剣道形の重要性を認識し、平素から剣道形の修錬に努めることが必要である。

2 剣道形指導上の基礎的留意事項
(1)終始、充実した気勢、気迫をもって合気で行う。
(2)仕太刀は、原則として、打太刀に従って始動する。
(3)太刀の形は「機を見て」、小太刀の形は「入身にならんとするところ」を打つとある。打突の時機を適切に行う。                
(4)打太刀は、一足一刀の間合を前提として打突部位を打突し、仕太刀は、物打で打突部位を確実に打突する。
(5)目付は、原則として相手から離さない。
(6)足捌きは、すべて「すり足」で行い、原則として一方の足に他方の足が伴う。
(7)残心は形あるもの、無いものにかかわらず十分な気位を示して行う。
   ※『日本剣道形解説書』〈指導上の留意点〉〈審査上の着眼点〉参照

剣道の歴史を遡るとき、欠くことのできない基本的な段階がいくつかある。

その源は日本刀の出現である。彎刀で鎬(しのぎ)造りの刀は日本独特で、平安時代(794〜1185)の中頃に出現した。その原形は日本列島東北地方に住み騎馬戦を得意としていた部族が平安初期には既に使っていたと思われる。以来、武士集団に使われ、日本最初の武士政権,鎌倉幕府末期に製作技術は飛躍的に進歩した。「鎬をけずる」といわれる剣の技は、日本刀とともに日本に生まれたものであると言っても過言ではない。

室町幕府(1392〜1573)の後半、応仁の乱が始まってから約百年間、天下は乱れた。この頃に剣術の各流派が相次いで成立している。1543年種子島に鉄砲が伝来した。日本には河床に沈積した品質の良い砂鉄があり、たたらふき法で製鉄し、刀を鍛造していたが、短期間に同じ方法で質のよい鉄砲を大量に生産することに成功した。それによりそれまでの重装備の戦闘方式は軽装備の白兵戦へと大きく変化した。そうした実践体験を踏まえて刀を作る技術の高度化・専門化が進み、洗練された刀法が確立され、新陰流や一刀流などの諸流派に統合されて後世まで継承されている。

江戸幕府(1603〜1867)の開府以後、平和な時代が訪れるに従い、剣術は人を殺す技術から武士としての人間形成を目指す「活人剣(かつにんけん)」へと昇華し、技術論のみでなく生き方に関する心法まで拡がった。幕府初期には柳生宗矩の「兵法家伝書」,第三代将軍家光のために「剣と禅」を宗矩にたのまれて沢庵が解説した「不動智神妙録」,宮本武蔵の「五輪の書」などは、そうした思想を集大成した兵法書である。中期・後期にも各流派の理論が出され、夫々は今日でも多くの剣道家に示唆を与える名著になっている。
これらの書が武士に問いかけたことは、如何にして死を超越して生に至るかという問題であり、それはそのまま武士の日常生活の教育でもあった。武士は、これらの指導書,また教養書を学び、日常生活は厳格で質素であり,才能を磨き,武術に励み,善悪を知り,一旦緩急があれば藩のために国のために命を捧げることを知っていた。通常の仕事は現代でいうと官僚であり軍人であった。ここで生まれた武士道の精神は264年に及ぶ平和の中で養われ、封建制度の幕府が崩壊しても日本人の心として現代に生きている。

他方、太平の世が続き、剣術は実践的な刀法から華麗な技がつくられていく中で、新たな基軸をうちだしたのが直心影流の長沼四郎左衛門国郷である。長沼は正徳年間(1711〜1715)に剣道具(防具)を開発し、竹刀で打突し合う「打込み稽古法」を確立した。これが今日の剣道の直接的な源(みなもと)である。その後、宝暦年間(1751〜1764)に一刀流の中西忠蔵子武が鉄面をつけ、竹具足式の剣道具(防具)を用いて打込み稽古法を採用すると、またたく間に多くの流派に波及した。寛政年間(1789〜1801)ころには、流派の壁を越えて他流試合も盛んになり、強い相手を求めて武者修行をする者も相次いだ。

こうして江戸幕府後期には、「袋しない」よりも腰の強い「四つ割り竹刀」が発明され、胴もなめし革をはり漆で固めたものが開発された。俗に「江戸の三大道場」といわれる千葉周作の玄武館,斎藤弥九郎の練兵館,桃井春蔵の士学館などが勇名を馳せるのもちょうどこの頃である。千葉はまた、竹刀打ち剣術の技の体系化をはかり、打突部位別に技を体系化した「剣術六十八手」を確立した。千葉が命名した「追込面」や「摺揚面」など、多くの技名は今日でもそのまま使われている。
明治維新(1868)になり、新政府が設置されて武士階級は廃止され、続いて帯刀が禁止されたことにより失業者は激増し、剣術は下火になった。
その後、明治10年西南の役を契機に警視庁を中心に復活の兆しが見えはじめた。明治28年(1895)には、剣術をはじめとする武術の振興を図る全国組織として大日本武徳会が設立された。ほぼ同じころの1899年に武士の思想の集大成とも言うべき『武士道』という書が英文で出版され、世界に影響を与えた。
大正元年(1912)には剣道と言う言葉が使われた「大日本帝国剣道形(のち「日本剣道形」となる)」が制定された。流派を統合することにより日本刀による技と心を後世に継承すると共に、竹刀打ち剣道の普及による手の内の乱れや、刃筋を無視した打突を正した。竹刀はあくまでも日本刀の替りであるという考え方が生まれ、大正8年、西久保弘道は武本来の目的に適合した武道および剣道に名称を統一した。

第2次大戦敗戦後、連合国軍の占領下におかれた日本で、剣道は抑圧されていたが、昭和27年(1952)独立回復後、全日本剣道連盟が結成されるとともに甦った。今日では、学校体育の重要な一部分を構成するとともに老若男女を問わず、庶民の間に拡がり、数百万人に及ぶ幅広い年齢層の愛好家が竹刀を持ち、ともに稽古に励んでいる。

また、世界各地で剣道を愛好する外国人も増え、昭和45年(1970)には国際剣道連盟(IKF)が結成され、第1回世界剣道選手権大会が日本武道館において開催された。平成15年(2003)7月にはイギリスのグラスゴーにおいて第12回世界剣道選手権大会が開催され、41カ国・地域から選手が集まった。

全日本剣道連盟公式サイトより

空手の歴史

空手道

【歴史と沿革】
 空手の発祥の地は古来、琉球と呼ばれていた沖縄です。その源流は、彼の地で古くから伝承されてきた独自の格闘技「テー」が、14世紀後半に伝来した中国拳法の影響を受け、現在の形に発展したと考えられています。「空手」という名称の由来には諸説あります。中国(唐)に学んだ拳法(テー)ゆえに、当初、「唐手(トーテー)」と呼ばれていたものが「カラ・テ」と読み替えられ、その後、手に何の武器も持たないことを意味する「徒手空拳」の「空」が「唐」の字に置き換わり、「空手」になったとする説が一般的です。

空手は長い間、秘技として伝承されました。沖縄で一般に広まったのは1900年代初頭のこと。その後本土に上陸しました。1922年、東京で開催された第1回体育博覧会で、「形(かた)」の演武が公開されたのを契機に、大学を中心として日本各地に普及しました。海外にまで広まるのは戦後のことです。昭和30年代以後、多くの日本人指導者が海を渡り、空手を全世界に広めました。

空手はその発展の過程で様々な流派に分かれました。その数は大小合わせ100を超えます。各流派は独自の活動を続けていましたが、1964年の東京オリンピックを契機として、大同団結の機運が高まりました。同年、国内唯一の統括団体として全日本空手道連盟(JKF)が設立され、5年後の1969年、統一ルールのもとで、第1回全日本選手権が開催されました。また海外でも、1970年に世界空手道連合(後に世界空手連盟=WKFに改称)が結成され、同年、東京で初の世界選手権が開かれました。現在、国内の空手人口は約300万人、世界では165カ国がWKFに加盟しており、4,000万人の愛好者、競技者が日夜稽古に励んでいます。

空手道

空手道(からてどう)もしくは空手(からて)とは、琉球王国時代の沖縄で発祥した拳足による打撃技を特徴とする武道、格闘技。

空手は大正時代にまず沖縄から本土に伝えられ、戦後は世界各地に広まった。現在では世界中で有効な武道、格闘技、スポーツとして親しまれている。現在普及している空手は、試合方式の違いから、寸止めルールを採用する伝統派空手と直接打撃制ルールを採用するフルコンタクト空手に大別することができる。このほかにも防具を着用して行う防具空手(広義のフルコンタクト空手)などもある。

今日の空手は打撃技を主体とする格闘技であるが、沖縄古来の空手には取手(トゥイティー、とりて)と呼ばれる関節技や投げ技も併伝していた[1]。また、かつては空手以外に棍術(棒術)や節棍術(ヌンチャクなど)といった武器術も併せて修行するのが一般的であった。最近では、失伝した技を他の武術から取り入れて補う形で、総合的な体術への回帰、あるいは新たな総合武道へ発展を目指す流派も存在する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照

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